3.11 震災発生時の自分
こんばんは、とげまるです。
今日は3月11日。忘れえぬ東日本大震災の発生日ですね。
備忘録として当時の状況を書き留めておこうと思います。
震災の発生時、僕はまだ高校2年生でした。
2011年3月11日 14時46分18秒が震災発生時刻とされていますが、この時僕は高校で数学のテストを受けている最中でした。
最初は小さな揺れです。テスト中ということもあり、みな揺れを気にも留めずテストを継続していました。
しかし思った以上に長い揺れだったので、教室が徐々にざわめきだしたその時、揺れの感覚が変わりました。
大きな横揺れに変わり、机と椅子がガタガタと音を立て始めたのです。
教師の指示よりも先に、みな机の下に身を隠し始めました。
僕も机の下に潜り、そこから見えた景色は机の上からふっとばされていくテスト用紙やペン類。
とても、とても長い揺れで、不気味さすら感じられました。
揺れがおさまると校庭に全校生徒が集められ、けが人の確認や下校時刻を早める連絡が行われました。
僕は15時半にはもう下校していたと思います。
携帯を開いてみましたが当然電波は届いておらず、家族の安否も確認できなかったため急いで自宅へ帰りました。
幸い家にいた家族はみな無事でしたが、部屋の中はぐちゃぐちゃの状態でした。
電気、水道、ガスは断線状態となっていたため、まずは水の確保が最優先でした。
(我が家には非常食セットや災害時のペットボトル水の貯蓄がなかったため)
水は家族ぐるみの付き合いがある友人宅からわけてもらうことができました。
また、ご近所どうしで水を分けあっている光景もよく見ました。
現代はご近所付き合いが希薄化しているというように聞きますが、僕の身の周りではそのようなことはなかったようです。
水の支給に関する情報などもご近所の方から頂きましたしね。
やっぱり大変なのは夜でした。
電気が通っていなかったので、明かりはキャンプ用のランタンを使い、夕食はキャンプ用のガスコンロでお湯を沸かしてカップラーメンを家族みんなで食べました。
ランタンのスイッチを入れた時の安心感は今でも鮮明に覚えてます。
明かりがあるというだけで、人間が感じる不安感って大きく変わるんですよね、ほんとに。
人間はガスや電気に頼りすぎだって、その時感じました。
生活の大部分をそれらに頼っているせいで、なにもわからなくなって、パニックになって、迷う。
でも本当はガスや電気が無くても生きていく術はいくらでもある。
震災がきっかけで分かったことです。
僕の住んでいた地域は内陸だったので、津波の被害を受けることはなく、幸いにも家族が財産を失うようなこともありませんでした。
家族の大切さ、ご近所さんの温かさ、電気ガスのありがたみ等、震災によってあらためて気づいた部分も多くあったと思います。
それらを忘れずに、7年後の今を大切にしたいな~と思ってます。
それでは、また。